「You spin me round 〜 あいつに振りまわされっぱなし 〜」
「ゲート処理素振りよーい、はじめ!」
本日の紙やすり当番の清々しい掛け声から、ガンプラ女学園の一日は始まる。
「四〇〇、六〇〇、八〇〇番!」
「四〇〇、六〇〇、八〇〇番!」
教室に響き渡る凛とした掛け声の間を、ロック学園長は縫い、檄を飛ばす。
「パーツを磨いていると思うな! おのれの魂を磨いていると思え!」
「はい!」
彼のガンプラ指導は、時に真っ赤に熱した鋼のように熱く、時に小川を流れる絹のようにやさしく、
「ニッパーを握る手はこう、桃の実を枝からもぎ取るイメージ……パーツはランナーから一度に切り離すんじゃなく、ゲートに二度、三度とあてて」
あるいは、生徒の手に自身を添え、
「残ったゲート跡は、無理に切り取ろうとしないで、デザインナイフで、そっと削り取る……ほぅら、君の肌と同じ、こんなに綺麗に仕上がった」
「ご指導、ありがとう……ございます……」
「ねぇねぇジム江さん、ボル美さん、お二人はどうしてこの学園に?」
それは色とりどりの花々に囲まれた、噴水の湧く中庭でのお昼のひととき。まるで片手のひらに収まるほどの、お菓子箱のようなお弁当をひろげたミツバチたちが、興味津々と羽音を弾ませながら、まんまるの目を輝かせて聞いてくる。ジム改めジム江と、ボール改めボル美は、いまはビューティー&キュートな女子ダイバーを装っているその顔を、無警戒に覗き込んでくる女子たちの甘い香りに、鼓動ではち切れそうになる心臓を必死に押さえつけながら、
「もちろん──」
君たち学園女子とお近づきになって、レッツ・エンジョイパーリィする為、などとはおくびにも出さず「ガンプラづくりの神髄を学ぼうと思って」と、模範回答を返そうとした、その言葉を、
「わかってる」、ミツバチのひとり、コンパウンド当番の女子生徒がさえぎった。
「学園長がお目当てで、いらっしゃったんでしょ?」
「…………え?」
ジム江とボル美は、同時に発した。
「それはそうよね、なんといってもロック様が素敵なお方だって噂は、GBNの隅々にまで響き渡っているでしょうから」
接着剤(スチロール系)当番の女子生徒が悪戯げにたずねる。
「本当はお二人とも、ガンプラになんてぜんぜん興味ないんでしょ?」
「え? あ、えっと……」
「ううん、心配しないで。ここだけの話、私たちもみんな最初は、ジム江さんやボル美さんとおんなじ、ロック様が目当てっていう不埒な理由でこの学園の門を叩いたの」
いや、同じ不埒でも、自分らの目的はまた別物だ──などとはジム江もボル美も当然、口が裂けても告げない。
「けれど、学園長からたくさんのお言葉を頂戴しているうちに、いつしか私たち、心からガンプラが大好きに!」
再びミツバチたちの羽音が弾みだす。
「ロック様って魔法使いの王子様!」
「きっとジム江さんとボル美さんも、ますます虜になるわ」
「でも、独り占めは駄目よ」
ふと、ジム江とボル美に、彼女たちの戒めの視線が集まった。
「学園長は、みんなのものなんだから」
学園長室は、レンガ造りの洋館を思わせる三階建ての校舎の最上階にあった。窓から、ほどよく手入れされた中庭が見渡せる。噴水のある池に面したあずま屋に、女子生徒たちに囲まれる新入生徒二人の姿が見えた。
「魅力的すぎるというのも、不自由なものだな」
ロックは肩に掛かる長い巻き毛を指でもてあそびながら、誰に聞かせるともなくひとり、声にした。
独り占めしてくれてもいいのに。
確かに自分は教え子の皆からチヤホヤされている。しかし、抜け駆けを許さぬ彼女らの堅い連帯意識のおかげで、学園創立以来今日まで、つねに生殺しだ。しかし──
「今度ばかりは、辛抱たまらないかもしれない……」
ロックは、見下ろしているあずま屋の中にジム江を見つめつつ、再び小さく声にした。
入学初日から女学院は、ジム江とボル美を前に、夢の予感の幕を垣間開いた。
夢の予感、その1──
「学園長のことを想う気持ちでいっぱいになって、この胸、どんどん膨らんじゃう!」と一人の女子生徒が告白すれば、「そんなの、私の胸の方が膨らんでるに決まってるじゃない!」と、別の女子生徒が言い返す。応酬が続いた結果、
「こうなったらジム江さんとボル美さんに、どっちのバストの方がおっきく膨らんでるか、しっかり触って確かめてもらいましょうよ!」
「え!?」
予期せぬ突然の事態に、ジム江とボル美の脳みそが、ボッと沸騰する。
「恥ずかしがることないわよ、女の子同士じゃない、お願い!」
「……そ、そうよ、ね……」
「……で、では、遠慮なく……」
両の手のひらをお椀状に構え、震えながら腕を伸ばす。あと10センチ、5センチ、1センチ。というところで遠くから、
「学園長がテニスコートでガンプラテニスの練習はじめたって!」
「大変! 早く見学に行かきゃ!」
「ええ! 爽やかなお姿で目の保養しなきゃ!」
チャンスは走り去ってしまった。
「……」
夢の予感、その2──
「私、いつ転んでスカートがめくれて学園長に見られてもいいように、素敵な下着つけてるの!」
「そんなの、私の方が学園長に見られるにふさわしい下着つけてるわ!」
「ねぇジム江さんボル美さん! どっちの下着がより素敵か、その目で確かめてみて!」
二人は、今度こそはと、
「わかったわ! なんてったって女の子同士ですものね!」
「遠慮なんてなしでいくわよ! いいわね!」
すると、またまた遠くから、
「学園長が道場でガンプラ柔道の稽古はじめたって!」
中略。
「…………」
体育館裏の倉庫の影で、ジム江とボル美は、スカートの中も気にせず大股開いてしゃがみ、声をひそめ合った。
「って言うか、学園長の存在、ちょー邪魔なんですケド」
ジム江が言わんとしている意図はこうだ。女子生徒たちの気持ちが皆、学園長に向いてるんじゃ、彼女らと気持ちよくレッツ・エンジョイパーリィ出来そうにないっちゅーの。
「そういえば、見たぽよ?」
ボル美は、正門の方を指さし、
「あそこに飾ってあったモニュメント、あれ、ゴールデン・ポリキャップだったぴょん。ってことは、ここの学園長、レジェンド・ガンプラのビルダー?」
「そんなのいまはどうだっていい。わたし達の邪魔する奴は、誰だろうと速攻退場させる」
「どうするぷに?」
「考えがあるわ」
ジム江は怪しげにニヤリ笑んだ。その作戦とはこうだ。放課後の屋上にジム江がロック学園長を呼び出し、二人きりになる。一方でボル美が、女子生徒らを屋上まで連れてくる。タイミングを見計らい、いきなりジム江が悲鳴を上げ、ロック学園長に乱暴されたと告げる。
「学園長セクハラ疑惑、噴出」
「なるほどニャン」
作戦は、早速その日の放課後、実行されるはこびとなった。
夕陽に染まる空の下の屋上、ジム江はロック学園長をまんまと呼び出した。時を見計らい、ボル美が、接着剤(瞬間)当番から精密ピンセット係まで、あらゆる女子生徒たちを屋上に誘う──彼女らがやってきた気配を確認し、ジム江が叫び声を上げようと大きく息を吸い込んだ、その時、
「呼び出してくれてちょうどよかった、ジム江くん……聞いて欲しい」
向かい合っているロックが、ジム江をまっすぐに見つめ、そして、
「君に出会った瞬間、私は一目で魅入られた」
「…………え?」
「猛烈に愛おしい」
まさにバッチリのタイミング。
「どういうこと、ジム江……」
氷のような声に、ジム江はロックと共に「!」と振り返った。
「言ったよね、独り占めはなしだって」
冷たく告げた女子生徒たちの傍らで、ボル美も、取り繕う術を見つけられなかった。
「なんでわたしが、トイレの個室で……ぼっちガンプラ……」
次の日、登校したジム江を待ち構えていたのは、弾むミツバチの羽音ではなく、冷ややかに突き刺さってくる無数の針だった。華やかだった女子生徒たちが手のひらを返し浴びせるその視線は、本来はガッチガチ剥き出し男子であるジム江に耐えられるものではなかった。ジム江は、授業の課題ガンプラである『MGギラ・ドーガ(レズン・シュナイダー専用機)』を手に、トイレの個室に閉じこもるしかなかった。
「って言うか、告ってきたの学園長の方じゃない、なんでわたしがハブらんなきゃなんないわけ」
それでもジム江には、唯一の頼みの綱が残っている。
「頼むわよボル美……なんとかみんなを言いくるめて、早くわたしをこの独房から解き放って!」
そんなトイレへ、授業を終えた女子生徒たちがやってきた──彼女らの会話が聞こえてくる。
「ジム江って顔キレーだけど、性根は最低だよねー」エアブラシ係の声だ。
「ロック様も、必死の色目とか使われて無理矢理言わされたんだよ、愛おしいとか、きっとー」これはうすめ液当番。
「だよニャンだよぴょんー」ボル美の声である。
ジム江はギラ・ドーガのシールドパーツを、砕けるほどに握りしめた。
「……あんのぉ腐れ外道……」
昼休みの学園長室で、ロックは、大勢の女子生徒たちに取り囲まれていた。
「君たちの言うとおりだ」彼は、願うように自分に集まる視線を鎮めるがごとく皆を見回し、おもむろに告げた。
「私は言わされた『一目で魅入られた』と…………彼女の中に潜む、ガンプラ愛の力……その強さに」
「ガンプラ愛の強さ……?」
場を満たしていた空気が変わった。
ロックは「いける」と確信した、声の調子を上げる。
「しかし彼女自身はその存在に気づいていない……私はジム江君に、自身が力強いガンプラ愛を隠し持っているということを知って欲しかった。だから思わず、少しばかり荒っぽいショック療法を……告白という課外授業を試してみてしまった」
「学園長が魅入られたと言ったのは、彼女にではなく、彼女の中に隠れているガンプラ愛の強さに……だったのですね」
「そう……そして、愛おしいと思った、彼女がガンプラへの深い愛を持ってくれている事が……。しかしそんな私の教育方針が、君たちの心にさざ波を立ててしまったのなら、素直に謝罪しよう、このとおりだ」
「ロック様……」
ロックは、皆に頭を下げつつ、心の中で「よしっ!」とガッツポーズをキメた。どうやら事態の収束には成功した。これからは余計なことはいっさいせず、ただひたすらおとなしく、この楽園……いや、学園で、皆からほどほどにチヤホヤされ続けることを肝に銘じよう。
そんな彼の殊勝な姿を見つつ、ボル実は、集う女子生徒たちに混じるなかで、「この男、ヤバいぞ」と直感した。そして、ひょっとすると、学園長の本性を暴くことができれば、虐げられているジムを解放してやれるかもしれない。
──いいや、余計なことはするな。
このまま長いものに巻かれ、流されてさえいれば、きっとゴキゲンな女学園生活が過ごせるに違いない。悪く思うな、お前の分までエンジョイしてやるからな……ジム江を想う気持ちは、これから始まるキャッキャウフフの期待に、砂のように吹き飛ばされた。
放課後が訪れ、女子生徒たちの気配が消え、ジム江はようやく、
「ボル美のやつ、ぜってー許さねぇ!」
トイレの個室から飛びだしたところで、マスキングテープ当番の女子生徒と正面から衝突した。「きゃっ!」と相手が床に倒れる。
まだ生徒が残ってたか! 「しまった」と思いつつも、咄嗟に「大丈夫だった!?」と立ち上がるのを手伝おうと手を取れば、床に強く打ちつけたらしい、その女子生徒が腕にしていた、見るからに高価そうな腕時計が、無残に割れている。
「ごめん! 弁償する! いくら!? 小切手でよければいますぐここで切るから!」
思わず言ってから、そういえばここはGBNの中なんだし、そんなものアバターなら自由自在に──と思い改め、ふと気づけば、女子生徒がなにやら目をキラキラさせながらジム江を見つめていた。
「小切手……?」
「……え?」
「ひょっとしてジム江さんって……リアル世界じゃ超大金持ちセレブとか!?」
掴んでいた腕を離そうとしたジム江の手を、彼女の手が強く握り返した。
次の朝、ボル美はジム江と一線を引き、ひとりで学園に登校した。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
爽やかなそよ風のようにかわされる心地よい挨拶の中を抜け、正門をくぐり、教室に着くと、隣の席に座るコードレスリューター当番の彼女に開口一番、
「性悪ジム江のやつ登校してる? あ、そうだった、来てたとしても、あの子の席って教室じゃなくて、トイレの個室にあるんだったぴょん」
「あなた、なにジム江さまのこと、ディスってるわけ?」
「…………は?」
見れば、教室の上座でジム江が(教室に上座という物があるのかは知らないが)、女子生徒たちを従え、ボル美に、勝ち誇った微笑みを向けていた。
諸行無常のならいはGBNも例外ではない。
「こんどはあたしが、ぼっちガンプラ、っすか……」
前日までのジム江の温もりが残るトイレの個室に、今はボル美が、授業の課題ガンプラである『MGガンダムベース限定サンダーボルト版サイコザククリアーカラーバージョン』を手にこもっていた。今日中に完成させて提出しなければならない、のだが、
「あ、やば……」ふと気づいた、「トリセツないじゃん、教室に忘れてきたのかも……ガンプラの箱の中に入れて置いたと思ったんだけど」
もちろん、それはこっそり抜き取られ、隠されたに違いなかった。
しかし動じることはない、当然『MGガンダムベース限定サンダーボルト版──以下、省略』のトリセツだって彼の頭の中に存在しているのだから。記憶を辿り、精巧に組み上げる。まあそれを完成させたところで、今はなんの役にも立たないだろうが……。
いいや、大いなる救いとなった。言ってもガンプラ女学園の生徒たちだ。ボル美が提出したガンプラの完成度に、ジム江はさておき、すべての女子生徒が驚愕した。
「トリセツは、確かに隠したはず……!?」
「まさか、ただでさえ部品数が多いのに、限定品だからって片っ端からクリアパーツにしたおかげでランナーの文字も読めなくなってる、あの『MGガンダムベース限定──以下略』を……」
「トリセツも見ずに、組み上げたってワケ……!?」
ボル実は一躍、時の人となった。
そして今、ジム江はその財力で、ボル実はエア・ガンプラで培った特技で、全女子生徒たちの羨望のまなざしを手に入れることとなった。二人は再び手を取り合い、そして、
「これでもしあの学園長の鼻を、ガンプラバトルであかしたとしたら」
「きっと、もっと面白い学園生活になるんだぷに」
「確かに面白いことを言う」
そして、ロックも座して見過ごしなどしなかった。
「しかしこの学園を……学園の麗しき子羊たちを迷わぬよう導けと、わたしは輝きの中、黄金のポリキャップを授かり託された」
現れた彼を、ジム江とボル美は、自信満々の表情で迎え入れる。
「なら、そいつも一緒に頂戴するとしようかしら」
「だニャン」
女子生徒たちの、或いはハラハラと、或いワクワクと集まる視線のなか、ジム江とボル美の前に、いま、学園長が立ちはだかった。
「君たちが投げた手袋、謹んで受け取ろう」